機械都市のサバイバル宣言

筆者の「極限環境」を設定する。

“川崎国” のリサーチのあと、モヤモヤしていた。

川崎区は磯部涼『ルポ川崎』どおり、たくさんの国籍や職種の人々が混合し、カオティックな空間になっていた。そこには戦前から外国人労働者の流入や定住、警察と暴力団の癒着と上納金のシステムが蔓延り、行き場のない<地元>を醸成する空気を感じた。

未来のディストピアでもその混沌と腐敗は続いているはずだ。しかし、「未来の極限環境は都市である」という主張のためには、現在の普遍的な無生物的な都市のシステムにおいて、我々の身体が虐げられている状況を採集するべきなのではないか。

我々は、我々を殺しにくる<都市>をサヴァイヴしなければいけない。それが未来の極限環境ではなかったか。

MAD MAX=ポスト・アポカリプスではなく、BLAME!=ポスト・アントロポセン

都市におけるインフラのシステムが高度化しすぎたために、素朴な生身の身体がついていけない事例を採集する。それを次のフィールドワークの目的とする。

多摩ニュータウンを見る。1965年に開発が始まり、2010年には21万人にまで及んでいた住民数は、2019年現在、住民の24%以上が高齢化し、当時の「若い住民」にとっては苦ではなかったはずの坂道や階段は、老体に牙を剥く。

高度にモビリティーに特化された国道1号線は、漆黒のアスファルトで覆われ、夏場の路面の温度は50℃まで上昇する。

自動車による交通事故で、国民は1年間に約5万人亡くなっている。

高層マンションを無秩序に建てすぎた結果、武蔵小杉では立っては歩けないほどのビル風が吹き、毎朝駅はパンク、サラリーマンが行き場のない怒声を上げる。

過剰な効率化を求めて成長した普遍的な都市は、我々の気付かぬうちに、いつしか人間の扱いきれない機械の都市、「Machine Landscape」へと変貌する。

Machine_Landscapes -Architectures of the Post-Anthropocene (2019)

筆者はここに「機械都市のサバイバル宣言」を掲げ、高度にシステム化された都市が生身の身体に与えている負荷を定量的に計測し、普遍的都市=エクストリーム環境をサヴァイヴするためのアルゴリズミック・タクティカル・サバイバルスーツを設計すると決めた。

http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/bosai/tama/pdf/toukei_01.pdf

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